ゲテ本装幀 その2 横光利一「時計」 アルミ板

Bonjour.

ゲテ本装幀について以前グダグダとお話を設けましたが、今回はその第二弾となります。前回(こちらを参照)と異なり、実用性の点では問題ありませんが、そんなことする必要ある??といった訳の分からない仕様を持った装幀となっております。昭和初期の出版社の、良い意味での馬鹿さ加減がにじみ出た一冊です。ちなみに、ゲテ本とは、「ゲテモノ」のゲテで、漢字では「下手」と書きます。「本のデザインに注力し過ぎた結果、実用性と乖離してしまった装幀」と考えて頂ければ、とりあえずは大きな間違いはないかと存じます。大正昭和の趣味人を代表する斎藤昌三が考案したとされる言葉です。

※※必要な部分のみ切り出して紹介しておりますので、途中から動画が始まっている場合がございます。まずは動画からご覧になり、補足をお読みください。

今回のゲテ本は、横光利一の長編小説「時計」。昭和9年に創元社より刊行された初版本です。装幀は、洋画家として活動していた佐野繁二郎。動画で紹介した他にも、小穴隆一(以前ジャーナルで彼のことを解説しています)、岸田劉生、棟方志功、谷中安規などが作家の装幀を数多く手掛けており、一般に現在よりも作家と画家の距離が緊密でした。箱は布張りで、上から赤の題箋が貼りつけられています。パラフィンとは、日本語で「蝋引き紙」と呼ばれる紙の一種で、食品の包装などに利用されてきましたが、疎水性があることから本の保護にも役立ちました。また、ヤケ(本が紫外線の影響で変色すること)による本の背文字の退色を防ぐ役割も担っています。

アルミ板??一体何がどうなるとこうなるんでしょうね笑 伝統的に日本の装幀は、書かれているストーリーを彷彿とさせるようなデザインに仕立てる傾向があります。ところが私の読んだ限りでは、内容と装幀にまるで関連性が見られません。佐野が横光を無視して勝手に仕立てたとしか思えませんね。しかも布との相性の問題からか、接着剤を使用せず、アルミ板の四隅に穴を開けて、そこへ糸を通して布表紙と繋いでいます。ここから一つだけ分かることは、当時製本を担当した職人さんは、超絶メンドクサイ作業を強いられたということです笑

ゲテではあっても、中は至って一般的なレイアウトで、むしろ余白がしっかり取られてかつフォントも版型(本のサイズ)の割に大きいものを使用しているので、非常に読みやすいです。一般にゲテ本は、外装に関してのみ言及されることが多いと認識しています。上下左右滅茶苦茶な構成なんてのもまれにはありますけど、それがもとで全く読み物として通用しなくなったら本末転倒ですからね。ちなみに、前述した斎藤昌三は、戦後間もない時期に食用のりを表紙に据えた馬鹿げた装幀を披露しています。 あそこまでいってしまうと、ゲテ本を超えて食用本とでも名付けた方が良いのかもしれません。「お腹がすいたら表紙を食べてください」みたいな笑

おわりに

個人的には、大正頃から昭和初期にかけてが、日本装幀史の極点と思います。西洋装幀が技術として確立し、様々な意匠にも対応できるようになった結果と分析しています。しかし明治期にも漱石の「虞美人草」や業界内で「鏡花本」と呼ばれる泉鏡花の初版本などは、内容を凌駕するほどのコストをかけて制作された、一つの立体芸術です。今回の横光の一冊も、同じ仕様で現代に蘇らせようとすれば、1万はくだらないでしょう。まして鏡花や虞美人草であれば、5~10万は硬いです。何をいわんとしているのかといいますと、昔の本は総じて高価だった!という訳です。本を売れば、三日生活が成り立ったと言われるくらいです。以上!

興味がございましたら、youtubeのチャンネル登録にご協力頂けますと幸いです。動画の全編は下記となります。ご参考までに。

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