作家「深沢七郎」と今川焼屋「夢屋」 横尾忠則の紙袋

Bonjour.

今回もちょっと番外編。皆さん「深沢七郎」ってご存じ? 作家であり、商売人であり、農業もやっていて、クラシックのギタリストでもあるという、一体何者?と言いたくなるようなすこぶる奇妙な親父、それが深沢七郎です。亡くなってから既に35年近くが経過し、現代の文壇ではあまり語られることがなさそうなこの深沢が、実は私のオープンな書斎がある東武曳舟駅ほど近くのLE PETIT PARISIENにて、約2年間ほど「今川焼屋」を運営していました。何で?って聞かれても、正直俺も知らねぇよとしか答えたくなるところですが😂😂、色々と思い当たることはあります。他にも興味ぶかい事実がありますので、その辺も含めてお話出来たらと思います😄

※※必要な部分のみ切り出して紹介しておりますので、途中から動画が始まっている場合がございます。まずは動画からご覧になり、補足をお読みください。

山梨県笛吹市生まれの深沢の実家は(確か)印刷業を営んでおり、田舎としてはそこそこ裕福な家庭に育ったようです。中学の頃に地元の雑貨屋で売られていたクラシックギターを買い与えてもらい、四六時中必死になって練習した結果が、後年のギタリストへの布石となります。実際1930年代後半には日劇ミュージックホールの専属ギタリストとして活動しており、そこの楽屋で書き連ねた楢山節考が当時の文壇に評価され、作家への道へと進みました。しかしその後、風流夢譚という短編を中央公論に掲載した関係で右翼に命を狙われることになり、一時期筆を折った時期もありました。

実は今川焼屋以外にも商売に手を出しており、こちらで商売を畳んだ後は、埼玉県の草加で団子屋をオープンしています。しかも手伝っていたのが現代芸術家?として知られている故赤瀬川源平😂 何で?って思う人もあると思いますが、当時深沢の思想に心酔していたようで、行動を共にしていた時期があったようです。他にも頓挫してしまったのですが、大宮で田寿司という寿司屋の開店を目論んでいました。これは恐らく深沢の本にも書いてないかも。。深沢七郎の関係者で現在も存命の方がおりまして、深沢七郎記念館という名称で自宅を開放し、深沢の遺品や書籍を多数展示しています。そこに結局使われなかった田寿司の湯呑や提灯が今も乱雑に置かれています😅 概要はこちらを参照ください。事前に電話すれば、多分館長が迎えに来てくれます笑 番号は0480-44-9855です◎

で、こちらが当時の今川焼屋「夢屋」の紙袋! デッドストックで残っていたものを、先ほど言及した深沢七郎記念館の館長さんから一枚頂いてしまいました😁 しかもデザインを請け負ったのは、何と横尾忠則氏!! 実は紙袋にとどまらず、横尾氏は夢屋のポスターや包装紙もデザインしています◎ そこでの縁もあり、ある日深沢の自宅に家族を連れて訪問したそうで、「人前で屁をするような奴は下等だ」と子供たちに説明していたそばから深沢がでかいのを一発やった、といったエッセーを残しています。ちなみに、包装紙は赤瀬川源平バージョンも存在します😊

最後におまけ。俗に私家版とか自費出版本と呼ばれるもので、正規の出版ルートを経ずに印刷・製本を個人レベルで行うことを指しています。こちらのエロ小説秘戯もその一つで、いわゆる和綴じ本と呼ばれる古い製本スタイルで作られた一冊です。一つ一つ手かがり製本しないといけないので必然的に少部数での出版となり、売上を重視する大手出版社では取り扱わる可能性は、限りなくゼロに等しいです😁 まぁ深沢がよく話していた余禄の人生の一環だったと私は見ています◎

おわりに

いかにも深沢通みたいに話している私ですが、書斎をオープンする以前は楢山節考の著者くらいにしかイメージ出来ていませんでした。それでこの事実を知ってから色々と資料を調べたり著作を読んだりして、こいつマジで頭おかしいだろということが判明して、すっかりファンになってしまいました😂😂😂 まじめな話、非常に深い部分を軽快に取り扱う達人だと私は思っています。これは一見出来そうで中々難しいことです。最初期に深沢の楢山伏考を好評価した三島由紀夫も、まさか自分にとってここまで都合の悪い人間とは思っていなかったようですね。理路整然の三島と天衣無縫の深沢、作家としてどちらが優れているかはさておき、人生の勝負では深沢の勝利です😁 以上!

動画の全編は下記となります。ついでにチャンネル登録もらえたら嬉ちーなと思うこの頃です。

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