Bonjour.
日本に蔵書票が流入したのは、一般に明治時代後期とされています。ドイツの版画家エミール・オルリックが、1900年に文藝雑誌「白樺」にて、当時の西洋式の蔵書票を日本に紹介した記録が残っています。そこから一体どのような展開がなされたのか、それを知る上で重要な要素に今回は触れてみたいと思います。
※※必要な部分のみ切り出して紹介しておりますので、途中から動画が始まっている場合がございます。まずは動画からご覧になり、補足をお読みください。
まずは装幀から。大正四年刊行「SERENADE」 著者・挿絵:竹久夢二 装幀:恩地幸四郎
上質なビロードに、小花柄の箔押しがされた愛らしい一冊です。著者の竹久夢二は言わずもがなですので、説明は割愛します。装幀を担当した恩地幸四郎は、大正から昭和にかけて活躍した木版画家で、本の装幀も多数担当しています。私の書斎にあるものですと、他に画家村山槐多の遺稿集の装幀などで評価されています。こちらの本は中々市場に出回らない作品ですが、ぽるぷ社が1960年代か70年代あたりに復刻しているようです。
蔵書票は書籍に貼り付けて使用するものと散々説明してまいりましたが、日本ではそういった本来の用途が注目されず、今回のように直接刷り込んで本の挿絵と同様の役割を付与されるケースが少なくありませんでした。確かにEX-LIBRISは蔵書票を指し示す世界共通の単語になってはいるものの、名前なり紋章なり所有者を表す何らかのマークがなければ、蔵書票として機能することはありません。
このような傾向が生じた原因の一つとして、蔵書票に代わるもの、即ち「蔵書印」が日本では長らく使用されてきたこと。また、20世紀以降では西洋においても貼り付ける用途が希薄になっており、オルリックもその前提で紹介した可能性が考えられます。結果、蔵書票の用途が多様性したのではないかと、私は推測しています。※蔵書印に関しては別途動画にてトピック作ります。
おわりに
夢二が一体どこから蔵書票の情報を仕入れたのか、またその情報は具体的にどういった内容であったのかに関しては、未だ不明です。お客様から頂戴した夢二の日記の中に何らかの言及があるやも知れませんので、ちょいと探ってみようかなと思ってます。でもボリュームがすごいんだよね。。。地道に調査してまいりまぁす。それでは、メルシー、アビアント、ボンジュルネー!!!
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