Bonjour.
蔵書票は、特定な職人のみの領域という訳ではありませんでした。美術にある程度造詣のある方であれば、誰でも知っているような画家でも、生活の足しのために蔵書票を製作するケースは、それほど珍しくは無かったようです。今回ご紹介するアルフォンス・ミュシャも、数多くの蔵書票を遺しました。
※※必要な部分のみ切り出して紹介しておりますので、途中から動画が始まっております。まずは動画からご覧になり、補足をお読みください。
こちらの蔵書票は1920年代ごろの作品とされており、ミュシャがチェコに帰国し、母国の独立運動に参加し始めてから制作されたそうです。フランス滞在時とチェコ帰国後でミュシャの作風は大きく変化しており、特に女性の麗しさや愛らしさから、徐々に凛々しさや意思の強さを思わせる描き方へと推移していきます。こちらの蔵書票にも、チェコ時代の特徴が良く現れています。
語学不能でして、票主の名前は読めません。申し訳ない。票主は、当時チェコ国内で活動していた建築家だったそうです。名前の上にあるEX-LIBRIS(エクスリブリス)は、現在では蔵書票と同義とされていますが、厳密には差異があります。その辺は、別の動画にて説明致します。
一般美術の世界と同様、神話のモチーフは蔵書票においても度々用いられます。アテナは「ミネルヴァ」と呼称されることもあり、知恵と勇気を備えた万能の女神ですので、ギリシャ神話の中でも非常に人気の高いキャラクターですね。
技法は正直良く分からないのですが、蔵書票の制作された年代と全体的な質感から鑑みるに、恐らくは写真製版(オフセット)ではないかな?と推測しています。ミュシャと言えばリトグラフか木版画が良く知られていますが、版画に特有のかすれやインクが乗っかった質感が皆無ですし、この時代はオフセットが主流となりつつあった過渡期ですので。間違ってたら、ごめんくさい。
ミュシャだけでなく、キリコやクリムトも蔵書票を制作しています。作家の色合いが濃いコクトーでさえ、面白半分で作ったような作品を遺しています。日本では竹久夢二や橋口五葉等が手がけたものの、それらは単なる「本の挿絵」と大差ありませんでした。そして蔵書票の挿絵化は、日本で蔵書票が広まらなかった遠因でもあるのです。それでは、メルシー、アビアント、ボンジュルネー!それでは、メルシー、アビアント、ボンジュルネー!
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